
作者プロフィール
Mitsumasa Matsumoto
松本 光正(まつもと みつまさ)
Industrial Designer Development & Illustrator
1944 年生まれ
2008 年 没
タカラトミー合併前の旧トミー工業に入社し、玩具の木型や金型のデザイン設計を担当する。その後独立し、有限会社松本デザインを設立。トミー工業の仕事を一環として自動車玩具トミカの初期からパッケージボックスのイラストアートを手掛けた。他にもエポック社野球盤ゲーム、シルバニアファミリーや太洋工業ラジコンなども手掛けていた。
1975 年から日本はスーパーカーブームに乗り、トミー工業からのデザイン依頼が急増し、手描きデザイン画数は発売から 400 点を超えていく。
松本光正のデザインは、フロント周りとリア回りを上から見たときに中央を起点として絶妙にラインを萎ませるデザインに仕上げられ、ボディのおなか周りが膨らんで見えるのが特徴で、トミカファンの購買欲をくすぐっていた。中でもデザイン画で搭載されているはずの「ハンドル」を書き忘れているデザイン画が1枚あると生前にエピソードを残している。
デザイン原画は松本デザインの故松本光正が保管し、その後も親族が大切に保管している。



作品の裏には著作権についての印が貼ってあります。
イラストなどは作者に著作権があるため、当時のトミー工業へはパッケージ使用のみの契約です。
イラストなどは作者に著作権があるため、当時のトミー工業へはパッケージ使用のみの契約です。
ミニカーファンは日本はもとより、世界中に数多く存在します。中でもトミカは日本中の子供たちから50年に渡り愛され続けています。しかしパッケージに書かれている原画自体が今日に至るまで世の中で披露されたことはほとんどありませんでした。
このパッケージのイラストを1971年から1989年まで多くの作品を手掛けたのがイラストレーター『松本光正』です。
この度、亡き作者の遺品から1971年から1989年までの作品400枚以上の原画と、原型木型など数点の存在を確認できました。
ご家族からは、作品を世に残し、ぜひ多くの皆さんにご覧いただき、楽しみ、当時の思い出を懐かしんで頂ければと作品の貸し出しをする事となりました。今後は、お貸し出しをした収益をもとに原画イラストのシミなどの修復作業をかけながらイラストの保全活動をしていきたいと思っております。
是非この趣旨にご賛同いただき、大変貴重な作品保全に、ご理解ご協力いただければ幸いです。
作品の貸し出し展示及び、作品を使っての商品化をお考えの施設や企業様はメールにてお問い合わせください。
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原画に関するお問い合わせはこちらから
このパッケージのイラストを1971年から1989年まで多くの作品を手掛けたのがイラストレーター『松本光正』です。
この度、亡き作者の遺品から1971年から1989年までの作品400枚以上の原画と、原型木型など数点の存在を確認できました。
ご家族からは、作品を世に残し、ぜひ多くの皆さんにご覧いただき、楽しみ、当時の思い出を懐かしんで頂ければと作品の貸し出しをする事となりました。今後は、お貸し出しをした収益をもとに原画イラストのシミなどの修復作業をかけながらイラストの保全活動をしていきたいと思っております。
是非この趣旨にご賛同いただき、大変貴重な作品保全に、ご理解ご協力いただければ幸いです。
作品の貸し出し展示及び、作品を使っての商品化をお考えの施設や企業様はメールにてお問い合わせください。

作品No.86
ニッサンチェリー1400クーペ GX
おそらく、ハンドル書き忘れのイラスト日本に現存する車も無いと言われている幻の車
ニッサンチェリー1400クーペ GX
おそらく、ハンドル書き忘れのイラスト日本に現存する車も無いと言われている幻の車

作品No.外車42
タイレル P34フォード 六輪F1
当時の子供達が熱狂、1976年1日本グランプリでは平仮名でたいれるの文字を入れるほど。
タイレル P34フォード 六輪F1
当時の子供達が熱狂、1976年1日本グランプリでは平仮名でたいれるの文字を入れるほど。

作品No.139
童夢‐零
日本初のスーパーカー市販化されなかった幻の車
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作品No.外車117
N52ジャガー
リスト及び発売日から予測してトミカのパッケージとして最後の作品
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